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原爆体験記「青空」

原爆体験記「青空」 松本数枝

被爆地 東立神町  当時:19歳
 
 私の被爆体験
 
 私は当時、立神造船所の事務所で働いていました。19歳の時でした。私自身ケガはなく、アナウンスで「道ノ尾からずっと火の海。家は残っていない。」と流れました。住吉の家には妹が一人残っており、様子を見に家に戻りました。船で大波止に渡って、立山公園を通っていたら、小屋が一軒燃えずに残っていました。家に戻る途中、西坂町で、永井先生が大学の生徒とケガをした人たちを連れており、その晩は一緒に畑に敷いてあった麦わらを着て夜を明かしました。翌日、朝から住吉に帰りました。私の家は燃えておらず、家に残っていた妹は庭に吹き飛ばされて庭に呆然と立っていました。幸い妹もケガはなく、家の近くで百姓をしていた母と祖母も無事でした。その後、商業高校の近くに疎開しました。そこで2~3日過ごし、その後自分の家に戻りました。
あんな恐ろしい事はもう二度とあってはならない。今お世話になっているのは夢のよう。笑って過ごせる今日が夢のようだと思います。


聞き取り職員  宮崎このみ
社会福祉法人純心聖母会
〒852-8142
長崎市三ツ山町139番地2
TEL:095-846-0105
FAX:095-846-0135

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